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11/13(水)服部年宏選手、引退記者会見の模様

2013年11月14日


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11月13日(水)岐阜グランドホテルにおきまして、服部年宏選手の引退記者会見が行われましたので、その模様をお届けします。17日(日)ホーム最終戦後には服部年宏選手の引退セレモニーを行います。ぜひスタジアムでご声援を宜しくお願いします。

 服部年宏選手冒頭あいさつ
 「本日はお忙しい中、お集まり頂きありがとうございます。私、服部年宏は今シーズンをもって引退することを決めました。この20年間、本当に多くの方に支えられてきたと思っています。感謝しかありません。今後につきましては、シーズン中ということもあり、話せないこともあるかと思いますが、ご了承下さい。では今日はよろしくお願いします」

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Q:まず、引退を決めた理由を教えて下さい。
 「理由というのは本当にいくつかあって、その中で一番大きな理由は自分の思った通りに体が動かない。ちょっとした球の回転や質とかも含めて、思ったようなボールが蹴れない。それと、思った通りにボールが奪えなくなった。この3つが一番重要というか、(引退を)決断した理由になりました」

Q:そういった思いの中で、明確に引退を決めた時期はいつぐらいになりますか。
 「夏以降、9月ぐらいですね。今年のシーズンが始まってから最初に怪我をしたのですが、その影響はあまり感じませんでした。それ以降、なかなか思うように体が動かない時期が続き、さらに夏の暑さ・厳しさの中で90分間フルに、思ったとおりに動けない。そういうのを少しずつ感じました。来年度もしやったとしても、今年以上のパフォーマンスがグラウンド上でうまく表現できないんじゃないかと。そういうふうに思い始めて、9月の時点で自分の中では決めました」

Q:毎年プレーしていく中で、今シーズンで40歳になられました。体の変化を大きく感じたのはやはり今年だったのでしょうか。
 「元々、上手な選手じゃないので、ボールの扱いに関しては多少ごまかしてきたというか、ぼかしてきたところもありました。ただ守備の、特に岐阜に関しては守備の場面が非常に多くて、その中で自分の特徴を出せる機会が少なくなってきたなと感じました」

Q:先ほど挙げられた3つの理由の中でも“思ったとおりに奪えなくなった”という点が、プレーヤーとして最も失われたところなのでしょうか。
 「そうですね。自分の中では“相手から奪う”という行為が非常に好きで。もちろんボールを触るのも好きなんですけど、2人、3人で組織的に、最終的に自分のところで奪うとか、そういうプレーが本当に好きでやらせてもらってきたので、そこができなくなったところはちょっと寂しい。もちろんチーム事情もあって、奪い方がちょっと違うところもありますが、その中でも自分一人で、1対1のところでしっかりボールを奪うという、そういうところができなくなってきた感覚はありました」

Q:引退を決意されるまでどなたかに相談されたのでしょうか。
 「まず最初は、やはり妻に相談しました。ただ、最初から尊重してくれて『そういう時期が来るだろう』と分かってもらっていたので、『大丈夫だろう』と思っていたのですが、のちのち聞くと非常に残念がっていたので、そこを感じながらも最終的には僕自身が決めてしまったのかなとは思いました」

Q:お父さんが引退することを知った時、お子様はいかがでしたか。
 「本人が分かっているかどうか分かんないんですけど、昨日ちょっと深く『パパ、サッカー選手辞めちゃうけどいい?』って言ったら『いいよ』と。分かってるかどうか分かんないんですけど(笑)、それでも言ってくれたので自分としてはちょっとホッとしました」

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Q:今シーズンはプロ20年目。服部選手はここまでJリーグだけで564試合、公式出場試合数を足し算すると740試合になります。プロに入った時、こうした数は想像できましたか。
 「全く想像してませんでしたね。自分の場合は大学を中退して入ったので、一年目からが勝負の年でした。その場、その場というか、一年、一年が本当に大事だと思ってやっていました。先のことは全く見れませんでしたし、自分自身でも20年経って、『この数やったんだな』と。まあ、長いですよね(笑)」

Q:特筆すべきは、大きな怪我もなくレギュラーでプレーし続けた点だと思います。これほど長く続けてこられた秘訣や要因についてはどうお考えですか。
 「まず体が丈夫だということは一つあると思います。それは本当に親に感謝したいと思います。それ以外の体のケアに関しては、非常にたくさんの方に体を触ってもらったり、治療してもらったりしたので、いろいなな方に感謝したいですね。ただここ最近は、ケアしてもらうよりも、自分自身。あとは、妻には毎日食事をちゃんと作ってもらったので、そこは本当に感謝したいです」

Q:ご自身でのケアの面というと、『これが特に良かったな』と思う点は。
 「それが良いか悪いかは分かんないですけど、トレーニングを少し減らしたというか。それまで自分のトレーニングにすごく時間を割いていたのを、ちょっとステイして。そういうことが増えてきたのは確かでした」

Q:毎シーズン出場し続けてきましたが、昔からそういったケアはされていたのでしょうか。
 「30代まではほぼしないで、30歳から35歳ぐらいまでは本当に一生懸命ケアしていたんですけど、その後の2009年ですね。2009年の頭のキャンプ前から足首が非常に痛くて、その原因が分からないまま2ヶ月ぐらい過ぎたので、治療の先生に見てもらったことがありました。その時に『あんまりケアを、マッサージをするな』と。『自分の体に合わせろ』と言われました。その時はヴェルディだったのですが、その後、鳥取や岐阜に来た時に、言うと非常に申し訳ないのですが、正直、医療体制が少し弱い。そういう中で自分の体を自分でケアできたというのは、その時(東京V時代)に助けてもらったことが大きいと思うので、感謝したいです」

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Q:磐田をはじめ、東京V、鳥取、そして今は岐阜でプレーしています。プロ生活で思い出に残っている試合や出来事はありますか。
 「思い出に残っている試合は、初めて優勝した97年のチャンピオンシップ。あの時は本当にうれしくて。勝って泣くというのは初めてのことだったので、非常に素晴らしい体験をさせて頂きました。印象に残っている出来事は、本当に昔の話になりますが、オリンピックでブラジルに勝った時(※マイアミの奇跡)。『どんなに全力を尽くしてもたぶん勝てないだろう』という相手に勝てた時に、『もっと長く試合をやっていたい』と思った。この感覚というのは、自分の経験の中でも本当に少なかったので、非常に印象的ですね」

Q:J1、J2、そしてJFLではMVPも獲得されました。3つのカテゴリー全てでプレーしたことは、何か特別な影響になりましたか。
 「J1の優勝から、ヴェルディの時にはJ2からJ1への優勝というのを体験しましたし、その後JFLからJ2に上げたこと。とにかくいろんなカテゴリーのゲームの中で、いろんなチーム、いろんな環境、いろんな選手、本当にたくさんのモノが見れたので、すべてが自分の財産だと思っています」

Q:クラブによっては環境も違いますし、JFLでは夏に13:00のゲームも経験されたと思います。そうしたことは、今後のサッカー人生に何か生きてくるように感じますか。
 「もうそれは間違いなくあると思います。もちろんそれがどういう形で出てくるか、正確には分かりません。ただ単に、いい環境でやっている選手には『こういう選手もいるし、こんな頑張りながらやっている選手もいるよ』ということも伝えられますし、いい環境でやれていない選手には、『頑張ればこういういい環境でできるし、それを目標に頑張ってほしい』という声をかけることはいくらでもできる。それが“体験した言葉”なので、しっかり届くと思いますし、そういうところはありますかね」

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Q:鳥取や岐阜のような新興チームでプレーしてきた中では、若い選手もたくさんいました。そうした“若いクラブ”や“若い選手”に対して、何かを残したと思うことはありますか。
 「僕自身は特に大きな変化はせず、自分の思う通りにやってきたので、それを感じてくれているかどうかというのは、岐阜の選手が分かってくれていると思います。それが僕に直接返ってくるとか、そういうのはたぶんないと思いますが、今後、一緒にやった彼らがどこかで自分のサッカーというものを出せるようになれればいいなと思います」

Q:今日の岐阜の練習場では、『ハットさんは練習から一切手を抜かない。その姿が本当に勉強になった』という声がありました。
 「試合ももちろん大事ですけど、やはり練習が大切であって。たとえば周りが評価するにしても、試合だけじゃなくて毎日の練習が大事だと思っている。そこで手を抜いていたら自分がうまくならないと思いますし、ジュビロ時代に中山(雅史)さんが、一番最初に(練習に)来て、一番最後に帰っていく。“それが当たり前”というのを見てきましたし、それを自分も他の選手に見せられるようになれればと思ってやってきたので、そういうふうに言ってくれる選手がいるというのは、もちろんうれしいことです」

Q:その意味では、磐田黄金時代に築いた時のチームメイトと切磋琢磨して学んでいったことが、大きな財産になっているのでしょうか。
 「そうですね。そこは自分の中でも大きなウェイトを占めていると思います。やはりチームが強くなるという過程、最初はそれほどでもなかったチームが、いろんな人たちと相談しながら自分たちでチームを作っていく。そして結果が出る。それを維持しようとする。そのサイクルの中にいれたことは本当に幸せだと思うし、やりがいも感じていたし、本当に楽しかったですね」

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Q:引退を発表して、当時のメンバーから連絡は来ましたか。
 「まず最初は、僕のほうから連絡を入れて。(現役を)辞めた方が多いので、そういう人たちは『よくやったね』と。『長く頑張ったね』というような感じで声を掛けてくれましたし、そういう人たちはあんまり『まだできるよ』というようなことは言いませんでしたね。逆にサッカー以外の方でお世話になった方にも連絡したんですけど、そういう方のほうが『いや、まだできるでしょ』という声が多かったですね」

Q:ご自身の現役生活は残り2試合となりました。次の札幌戦はFC岐阜のホーム最終戦で、J2残留もかかった試合になります。残り試合への意気込みはいかがでしょうか。
 「元々この発表自体ももう少し早くしたかったのですが、やはり残留争いというものがあって、自分の中では早く発表できなかったところがありました。ただ、このホーム最終戦、最後に自分たちで残留を決める試合の時に、僕自身のためではなく、チームのためにサポーターの方に多く入って頂いて、選手の背中を押してくれる。そういう環境を作りたかったので、このタイミングで発表させて頂きました。なので、次の試合はぜひともチーム一丸となって、サポーターも含めて、全力を出したいと思います」

Q:ファンやサポーターも、勝って残留を決めて、気持ち良く服部選手の引退セレモニーを迎えたい思いが強いと思います。
 「まあ、次の試合をドキドキしながらセレモニーしても僕も楽しくないですしね。選手のプレーでしっかり結果を出して、笑いながら、最後のホームスタジアムを楽しみたいと思います」

Q:先ほど『話せないこともある』とおっしゃっていましたが、話せる範囲で今後の目標や決まっていることがあれば教えて下さい。
 「とりあえず現時点では、指導者としてのライセンスをB級までしか持っていないので、できることならA級、さらに可能性があるならばS級を取りにいきたいなとは思っています。ただその一方で、どこかは分かりませんけれども、たとえばもしフロントに入ることができたら、そういう中で勉強をして、サッカー界のいろんなことを学んだり、それ以外にも人との触れ合いとか、そういうところも学べればと。GM(ゼネラルマネージャー)まではいかなくとも、将来的には強化のことをやっていくのも一つの道かなとは思っています」

Q:強化、あるいは指導者という話がありました。自分の現役時代を踏まえて、どのような選手を育てたい・どのようなクラブを作っていきたいというような夢はありますか。
 「基本的には、謙虚であったり、真面目であったり、人としてしっかりしているチーム。なおかつ強さもある。選手がサポーターを非常に大事にする。そういうチームがあればいいかなとは思います」

Q:多くの人がまた現場で会えることを楽しみにしていると思います。
 「ただまあ20年、選手ではありましたけど、現場にはたので、また違う道を探しながら。すぐグラウンドに出るのも一つの手だと思いますけれども、また自分なりにいろいろ勉強をして。まだまだ社会に出るにはサッカー選手以外のことはできないですし、大切なことだと思っているので、そこはまた一から学びたいと思います。ただ、それよりもグラウンドに出てボールを蹴ること自体が基本的に好きなので、そんな環境もやはり大事にしていきたいと思っています」

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Q:今シーズンを終えると“サッカー選手”という職業ではなくなります。寂しさはありますか。
 「以前もある取材で言ったのですが、朝8:30とか朝9:00から40歳のおっさんがボールを蹴っていても何も言われない。むしろ褒められる。そんな仕事は本当に“サッカー選手”以外にないと思ったので、本当に自分に向いていると思いましたし幸せでした。ただ今後は、その時間におっさんがボールを蹴っていれば怒られることが多いかもしれないので(笑)、また違う時間に違う形でボールは常に蹴っておきたいと思います」

Q:最後の質問です。これからサッカー選手を目指す子供、あるいはサッカーキャリアを始めたばかりの若い選手たちに対してのメッセージをお願いします。
 「今までのことも大事ですけど、先もしっかり見ないといけない。闘うことを常にしなければいけない。そんなに甘い世界でもないですし、強い気持ちを持って、自分自身を持って、サッカーを楽しんでほしいと思います」

(協力:J'sGoal)

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