※モバイルサイトは、上記QRコードを読み取ってお進み下さい。
2014年11月21日
今シーズン限りで引退を発表しました木谷公亮選手の引退セレモニーを、ホーム最終戦・11月15日vs松本山雅戦終了後に行いました。花キューピット岐阜支部様より花束を、木谷選手のお子様より手作りのメダルと絵が贈られました。
【木谷公亮選手インタビュー】
① 引退を決意した理由は?
信頼して使ってもらっていたけどなかなか結果が残せなかったという思いと、ケガもあって、今の自分の体やチームの中で置かれている立場を考えて決めました。「思ったプレーができなくなったから」なんていうプレーヤーではないし、これまでももがいてここまでやってきました。やれるならやりたいという気持ちもありますが、期待に応えられない歯がゆさもありました。華やかなキャリアではないですが、ここまで自分なりにすべて絞り出せたかなという思いです。
② 結果が残せなかったという言葉がありましたが。
自分がイメージしていた状況はもっと上に行けるはずだったし、結果だけみたら不本意だったなと思います。昨年も残留することはできましたが、失点を減らせなかったですし、勝てなくて、自分の責任を感じました。
③ 14年間現役生活を送ってきました。長年やってこられた理由は?
人との縁だと思います。僕を呼んでくれた方やチームがあったから、こうやって繋がってこられたのだと思います。そういう方がいなかったら、ここまでやれていなかったです。大学からJリーガーになった時もそうでした。
大学時代はレギュラーでもないし、全国大会はメンバーにも入っていなかった。だから大宮のセレクションに参加した時に、少しでも大宮のサッカー観が違っていたら僕をとってくれていなかったかもしれないし、プロサッカー選手になれていなかったかもしれない。
ここまでやれたのは多くの人に支えて頂いたことが大きかったです。本当にありがたいと思います。
④ 一番印象に残っている試合は?
どの試合も気持ちを込めてやってきたし、長良川競技場での初めての試合も良かったし、どの試合がというより、どの試合も同じ思いでやってきました。
⑤ 岐阜での日々を振り返ると?
鳥栖から来て1年半、岐阜でプレーできたことは、いろんな人に出会えたし、本当に良い経験になりました。本当にここで出会った多くの方々や、クラブ、この地域に住んだこと、岐阜のサポーターの前でサッカーできたことなど、全てにおいて、岐阜に来て良かったと本当に思います。
⑥ 若手選手にこれは伝えてこられたなということはありますか?
それはわかりません。それは本人たちが「公亮さんからは何も・・・。」と言えばそうだし。俺がベテランだから、引退するから、最後だから伝えなきゃということではなくて、自分がここまでやってきて、必要なことは言わないといけないと思い伝えてきました。うまく伝えられていたかはわかりませんが。でも逆に若手の選手からなるほどなと感じることもありました。
⑦ サッカー選手としてこれまで大事にしてきたことは?
自分の中でしっかりと軸を持つこと、自分を見失わないこと、流されないということを大事にしてきました。
もちろん人から学ばなければいけないこともあるので、学ぶ部分も持ちながら、しっかり自分を持ってやっていくという信念はずっと持ってやってきました。
⑧ 今後の進路は?
指導者になりたいです。ただ、自分の中での人生設計はありますが、求められるところがどこかは僕が決められることではないのでわかりません。
いくつかやってみたいというものはあります。チームを率いてみたいですし、いつかJリーグの監督をやってみたいとも思っています。こういう選手を育てたいというものは明確にあります。
⑨ 残り試合への意気込みを。
自分が引退するからと言って、特別という感じではなくて、この時期はそれぞれの選手がいろんな思いを持ってやっていると思います。とにかく良い試合をして勝つということを、見ている人も求めていると思うので、そこに集中して臨みたいと思います。
⑩ 岐阜のファン・サポーターへメッセージを。
感謝しかありません。こういう年齢になって移籍してきた僕を、温かく迎えてくれて、選手をやっていて良かったなと思いました。その気持ちに結果で応えたかったですが、なかなか結果が出せなかったことは本当に申し訳ないです。どんな時でも応援してもらえたこと、感謝しています。
ありがとうございました。